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デザイナー募集 追記 

コイズミデザインファクトリーでデザイナー各自が成長する道筋

コイズミデザインファクトリーでは現在、デザイナーを募集していますが、うちの事務所のメンバーになってくれたデザイナーがどういう過程で一人前のデザイナーになって行くかを紹介します。

1 まずはなんといっても他のスタッフとのコミュニケーションです。コイズミデザインファクトリーでは分業する仕事が多いので、他のスタッフとの連携をスムーズにするためにもここは重要です。

2 コイズミデザインファクトリーでどんな仕事を行っているかを把握してもらいます。他の事務所に比べて扱う領域が圧倒的に広いので、最初はみんな驚きます。でも、どの仕事もすべて「デザイン」であることに代わりはなく、「発想の出発点から、エンドユーザーの手に渡る瞬間までのあらゆる段階で必要とされるデザイン」をターゲットにしていることや「どんな業種にもデザインという仕事の関わり方ができる」ということを理解してもらいます。

3 そしてひたすら日々様々な仕事をこなしてもらいます。とはいっても、最初からすべてをできる人などいませんので、経験を積んだスタッフとタッグを組んで徐々になれてもらいます。「私は現在WEBデザイナーだけどそんなことできるのかなあ・・・・」と不安に思っている方でも全然問題ありません。必要なことは「デザイン」というものに対する好奇心です。

4 そうするとその一人のスタッフの中で得意なことと不得意なことが見えてきます。今まで自分のしたいことはグラフィックデザイナーだと思っていても、テキスタイルの方が自分に合っていた・・・などと気づくことはよくあることで、かくいう私も学生時代はインテリアデザインを専攻していましたが、今ではグラフィックデザイン、イラストレーター、アパレルや雑貨の企画、ブランディングなどインテリアの仕事などほとんどありません。

5 ある分野で一人前になったデザイナーは、そのスキルが多方面にも生かせることが多いので、少しづつ他の分野にも挑戦してもらいます。たとえば、イラストが得意なデザイナーの場合はTシャツのデザインもできるだろうし、それができてプリントやアパレルの分野に興味がわけばテキスタイルや雑貨の企画もおもしろくなるはずです。

6 そして気がついたときには、いろいろな分野の仕事ができるようになっている・・・っというわけです。そうなるにはやはり最低でも7〜8年はかかるでしょう。

ですからコイズミデザインファクトリーでは女性は自分のスキルを伸ばそうと思えるテンションを維持してもらうために、結婚や出産後もデザインというものに関わっていく方法論を各デザイナーと一緒に探っていきます。

今現在も産休に入っているスタッフが1名。順調にいけば年明けにも復帰したいと聞いています。

コイズミデザインファクトリーではこういった仕事場で一緒に働いてくれる女性デザイナーを捜しています。
興味のある方は是非お問い合わせください。↓
http://www.koizumi-design-factory.com/

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26年が過ぎ、27年目が始まる 16 

デザイン事務所というものはやはりこなしてなんぼのビジネスである。
つまりそれは人の手によって仕事がこなされ、売り上げが積み重なっていくものであるから、売り上げを上げるためには人手が必要になってくるということだ。
しかし、人手を増やすというのは大きなリスクを伴う。人手を増やしたからといって、その分受注が増えるという保証などどこにもないからだ。
さらに人手を増やすためには場所も必要になってくるので、広い場所への引っ越しやコンピュータの費用などリスクはさらに増大する。

約12〜13年前の私はそのジレンマにもがいていた。

そこで考えたことはアルバイト要員の確保と外注という方法だ。
この方法なら忙しいときだけ人員を確保し、暇なときは人件費を抑えることができる。

早速、知人のつてや紹介などでアルバイト要員と外注先を2件確保した。

ところが世の中そうそう甘くはない・・・・ということにまもなく気づくときが来た。

やはり、アルバイトではできることも限られているし、ここぞと思ったときに都合でこれなかったりして、なかなか充分仕事をこなすというところまではいかない。

外注とて同じことである。
相手の仕事のつまり具合やスキルによって時間もかかるし、充分満足のいくものが上がってくることもまれであった。オマケにちょんぼでもされたときには、いったい誰のために仕事を取っているのかがわからなくなってしまう。

そう、結局デザイン事務所は外注なんてしてはいけないんだ。
自分たちの手で打ち合わせをし、デザインをし、納品をして稼いでいかなくてはいけないんだ。

しかし先ほども書いた取り、そのためには場所と人員の確保が必要となるのだ。

んんん・・・・・。
考えどころを迎えているなあ。
そういう思いにもがいていた40歳前の私だった。

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ゴルフもっとやろう宣言 2 

ルーツゴルフ

実は7,8年前にもゴルフをもっとやろうとしたことがあった。
そのときはゴルフウェアメーカー○○アンド○○のバッグやヘッドカバー、キャディーバッグのデザインを契約で請け負うことになったのを機会に、それまで使っていたぼろぼろのクラブを処分し、友人のM君にアドバイスを受けてギアを一新した。
ロードサイドのゴルフ量販店へ行き、キャロウェイでウッド、アイアンをそろえ、タイトリストのウェッジ、ピンのパター、キャディーバッグはウッドに合わせてキャロウェイにした。
私のような下手くそには正直もったいない道具であったが、ゴルフがらみの仕事をするのだから、あまりちゃっちいものは持てないので、ゴルフ場ではずかしくない程度のものにした。

その会社は内部的にいろいろとあって、そこにおられた顧問が別に会社を興され、その新しい会社からもダン○○○○○ンのデザイン契約をいただき、もともと契約をいただいていたゴルフウェアのA○○B○○と合わせ、3社もの仕事をさせていただくこととなった。

ところが1年でそういう状況ではなくなり、ゴルフの仕事もA○○B○○だけとなってしまったので、一気にゴルフへの思いが冷めてしまった。

そしてついに今回、7年ぶりに復活となったのは前回書いたとおりだ。

今回新しく相棒に選んだのはもちろんRoots Golfのギアである。

Roots Golfのギアには大きく2つのラインがあって、簡単に言うと1つはスポーツ志向のもの、そしてもう一つはゆっくりゴルフを楽しむ傾向のものという感じだ。
私はもちろん年齢的にも技術的にもゆっくりと楽しむ方を選んだ。
The Roots Keiというシリーズだ。

ご存じの方もいると思うがRoots Golfのギアというのは、大量生産する大手メーカーではないので、いろいろな秘密が詰まったクラブであり、制作に手間がかかっているので一般的にはかなり高価だ。
それこそ私のような下手くそにはもったいないと思っていたが、実はこのRoots Golfというメーカー、私のような初心者こそがターゲットであり、決してうまい人たちばかりのものではないらしい。

そのことに確信を持ったのは、初めてRoots Golfの方とラウンドさせていただいた時だった。
私がそれまで使っていたドライバーでは、例にもれず私もブーメランのようなスライスに悩まされていたが、そのとき私のために持ってきていただいたギアのなかのドライバーで打ったところ、ものの見事に1発目から超ナイスショット。同行のI氏はもちろんのこと、自分でも驚いた。

そのときの爽快感が忘れられず、今ではフルセットRootsGolfである。

実は昨日も新しいウェッジが届いたばかりだ。
今度のウェッジはスピンがすごいらしい。
最近1打目、2打目まではよくても、グリーン周りでたたいてしまう私には強力な武器になってくれそうだ。

ふっふっふ。これで一気にベストスコア更新といこう。

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26年が過ぎ、27年目が始まる 10 

MACを導入した丸太町の事務所は、烏丸丸太町を下がった竹屋町の角から2件目の西側にあった。
そのビルは松吉画材という当時京都では最も大きい画材店が所有していて、1,2階に店を構え、地下には当時まだ少なかった出力センターを持っていた。その出力センターの余った10坪ほどのスペースがコイズミデザインファクトリーの事務所だった。

クリスタープラザエム クリックで拡大

このビルには他にランチが美味しくて美人の奥さんがいるカフェや、あまりうまくないのになぜか人気のあるパスタ屋が入っていて、常に人の出入りがあるなかなか賑やかなビルだった。地下鉄の丸太町駅が徒歩1分と大阪や神戸に行くには大変便利ではあった。

ただ、うちの事務所は地下である。もちろん景色など見えないし、風通しは悪く湿気も多い。
しかも、食べ物屋が挟み撃ちをしているので、害虫も多い。
たまたま前は地上につながる吹き抜けだったので、少しはましてあったが、それでも地下という閉塞感はかなりのものだった。

ある初秋の日、突然得意先の営業マンが飛び込んできて叫んだ。
「はよ帰らんと台風来てるで!」
ラジオがあまりきれいに入らなかったこともあり、スタッフ全員台風が直撃して地上がえらいことになっていることなどつゆ知らず、平気な顔をして仕事をしていたことがあった。

ある時は、夜中に大雨となり、静まりかえったビルの地下に、地上から雨水が大量に流れ込み、事務所全体が水浸しになったこともあった。

水浸しといえば、当時事務所には4つのアクアリウムが置いてあったが、そのうちの一つが水漏れをおこし、これまた水浸しになるという事件もあった。

そんな事務所ではあったが、近くには喫茶店や飯屋も多いし、なんといっても画材店と出力センターが超近いのが便利だったので、結局5年間そこで仕事をしていた。

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25周年に回想 6 

この西大路五条の事務所では、もう一つ大きな出来事があった。
母が他界したことだ。
私の父は私が18の時に他界しているので、これで両親を亡くしたことになった。

実は私がこの仕事に就くきっかけは、両親の影響によるところが大きい。

父は私が生まれたとき職業欄に「とび職」と書いてある。大工の見習いみたいなものだったらしい。
私は父が22歳の時の子なので、当然まだ一人前であったとは思えないが、私が子供の頃よく物置や盆栽の台など今でいうDIY的なことをしょっちゅうしていた。本当は宮大工になりたかったらしいが、家庭環境が理由で無理だったらしい。昭和40年代になると空前の友禅景気が京都の街に吹き荒れたため、親戚の紹介で友禅の染色工として再スタートを切った。ただ、いわゆる高級品の手描き友禅ではなく、図案家が描いた柄をスクリーンによって再現してゆく型友禅であったため、ことある毎に私に「この柄を考える人の方にならないとだめだ。」と言い聞かせていた。
そして私が高校3年の梅雨に病死した。

母は絵がうまい人だった。まだ幼かった私に広告の裏や包装紙の端っこに女の子や動物の絵を描いては見せてくれた。本当は美大に行きたかったらしいが、高校にも行けない経済状況の家であったためそれもかなわず、中学を卒業してからろうけつ染めのや父と同じ工場で友禅工として働いた。
ただ、絵がうまかったり手先が器用であったことから、型友禅が衰退したあとも作家物の帯や着物に螺鈿を施したりハンドピースでぼかした柄を描いたりと、他の職人にはできないことができたため、友禅がまったくだめになった以降も何とか仕事を続けることができていたようだ。

そんな二人の間に生まれた私は、小さいときから「絵の上手な子供」として周りにおだてられながら育った。小学校の卒業文集にはすでに将来の夢として「競馬のトラックマン」か「商業デザイナー」とはっきりと書いている。(当時はグラフィックデザイナーという言い方もまだ一般的ではなかったし小学生の私はそんな言葉さえも知らなかった。)

当時、我が家は貧しかったので、おもちゃをねだるというようなことは一切しなかったが、近所に住んでいた1つ上の小学1年生になるいとこが持っていた学校の絵の具セットが羨ましくて仕方がなかったので、「絵の具が欲しい」とねだってしまった。普段はおもちゃなどほとんど買ってくれなかった親だったが、絵の具の時だけは何も言わずに12色の水彩絵の具を買ってくれた。そのときのうれしさはきっと一生忘れないと思う。いまだにその文房具店や置いてあった棚の位置、絵の具のパッケージのデザインまで鮮明に覚えているのが、自分でも不思議だ。

その後なんの疑いもなく、デザイナーになる道を選んだ私だが、いまだにそれが親の企みにまんまとはまった結果なのか、それとも自分自身で適正を判断してのことなのかはわからない。
おそらくあの世で二人して、日々デザインに悪戦苦闘する我が息子の姿を見ながらほくそ笑んでいるに違いない。

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いいものを持つということ 

オークション戦利品トリッカーズ

「いいもの見、知り、持つ」ということはなぜ大事なのだろう。
誰だって苦しい財布事情のなか、少しでもいいものを持ちたいのは山々だけどそうも行かないのが現実だ。

でも、そこを何とか無理をしていいものを持とう。

いいものを持つということは、満足感や充実感を得、実際にレベルの高いものの持つ品物としての価値を感じ取ることができるだろう。

でもそれだけではない。

いいものを持つということを続けていると、良くないものに我慢ができなくなる。
その「良くないものに我慢ができなくなる」という感覚が大事だ。
その感覚はいろいろな場面で少しでも現状よりいいものを目指すという意識を育てるので、
結果がおのずと違ってくる。

さあ、「良くないものに我慢ができなくなるように、いいものを見、知り、持とう。」

決して私の買い物癖の言い訳ではない。

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