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町の鍛冶屋アート Facebookページにしました。 

町の鍛冶屋アート

ときどきfacebookに上げていた「町の鍛冶屋アート」がかなりたまってきたので、facebookページに昇格させました。昭和40年代の建築にはよく見かけられた町の鍛冶屋がオリジナルで作り上げた造作物をよくよく観察すると、これがなかなかアートなので、ちょっとコレクションしてみました。
ご当地マンホールや看板などを集めていらっしゃる方はよく聞きますが、この手のものを集めてらっしゃる方は今まで聞いたことがないので、いつか注目されないかと内心期待しています。

だいたいは仕事で出かけたときに見つけてはiphoneでパシャッと撮るのですが、いいものを見つけても車を止めるところがなかったり、急いでいたりでなかなかいい写真が撮れません。いくつも撮りたいところが頭の中にはあるのですが、うまく撮るタイミングがありません。
一度1日かけて自転車にでも乗りながら鍛冶屋アートを探してまわりたいものです。

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中高時代はみんなステレオにあこがれた。 

マランツ

私が中学・高校の頃、男子はだいたい通る趣味がきまっていた。
特に音楽好きは、まず中学時代にギターに挑戦する。
ただ、これはほとんどの場合途中で挫折する。
経験したものにはわかると思うが「F」というコードで皆立ち止まる。そしていつかうやむやにしてしまい、ギターは寂しくも押し入れに追いやられるのだ。
そして多くの場合、年下の従兄弟や後輩へと引き渡されていくのだ。

それとだいたい時を同じくして興味を持つのが「オーディオ」という今では死語に近い音響製品を楽しむ世界だ。
このくらいの年代になると洋邦を問わず好きな音楽というものができているのが普通なので、それを聴くための装置が必要になる。
今のようにiphoneやipodのようなすばらしい機械は当然無いので「ステレオ」というものがあこがれの対象となる。
当時は日本のオーディオ界が一気に花開いた頃で、各家電メーカーも音響製品用にブランドを持っていた。
パナソニック→Technics
東芝→Aurex
日立→Lo-D
コロンビア→DENON
サンヨー→OTTOという具合だ。
底に音響メーカーが加わる。
SONY、Pioneer、YAMAHAなどだ。
なかでもMARANTZやテープデッキのTEACなどは私のような貧乏少年にはとうてい手の届かない高嶺の花であった。

やはり音響メーカーのものが人気ではあったけれど、やはり価格が高めであったので、家電メーカーも結構検討していた。

そんな中、私も高校に入学と同時に貯めていたお年玉や高校の入学祝いなどをかき集め、念願のシステムコンポーネントステレオを買うための資金を確保した。
当時のお金で約20万円。
私にとっては人生で最大の買い物であるし、感覚的には家でも買うくらいのインパクトがあった。

当然下調べは念入りに。カタログでデータやスペックを比較して気持ちを高ぶらせる手法は、今もまったく変わっていない。
今ではかんこ鶏が鳴く寺町の電気屋街に足げく通い、集めたカタログは積み上げると裕に1メートルを超えた。

そして選んだのが、かなりマイナーなAurex。
東芝が送り出すかなりコストパフォーマンスに優れた機種だ。
スペックは今でもはっきりと覚えている。
プレーヤーのターンテーブルは当然ダイレクトドライブ。回転ムラは0.05%以下。SN比は60dB。
スピーカーはフロア型の大型のもの。バスレフ型の3ウェイ。ウーファーは28cm。
チューナーは当時まだデジタルタイプは恐ろしく高かったので追針式。チューニングダイヤルを回すとあまりにもなめらかに廻るので針が端から端までスーーーーーっと流れたものだ。
(経験したことのない人にはどういう状況かさっぱりわからないと思う。)
そして極めつけはアンプ。
当時、システムコンポというとほとんどがプリメインアンプ(パワーアンプとプリアンプがいっしょになったもの)であったが、私のはパワーアンプとプリアンプが分かれたセパレートであった。

これはかなり自慢であったし、パワーアンプの出力計の針が振れるのを一日中眺めていても飽きることはなかった。
そしてカセットデッキ。これも通常とは少し違っていた。
ほとんどのデッキはVUメーター(音量の平均的な値を差す)メーターを採用していたが、私のはPEAKメーター(音量の最大瞬間値を差す)を採用していた。その分シビアな録音ができるとほくそ笑んだもんだ。
しかも、それらすべてを購入して半年後には2台目のデッキを購入。
それもAurexであったが、これがまたすごい。
当時の最先端カセットテープ「メタルテープ」対応である上に、他社が採用するドルビーシステムの性能をはるかにしのぐ「adresシステム」搭載であった。
それによりテープノイズは今までよりも格段に低減され、カセットテープで聴いているにもかかわらず、オープンリール並みではないかと思えるほどの音質を実現していた。

それから約35年。
システムコンポを持つということが一般的ではなくなり、もっと省スペースでも高音質のミニコンポ全盛の時代にあって、一昨年何年かぶりにもう一度システムコンポを持ってみたくなった。

今では、技術革新の恩恵で昔の超高級ブランドでも手が届く価格となっているので、貧乏少年であった頃よりもずっと安い価格で手に入れることができる。

そこに目をつけ、当時では絶対に買えるわけもなかったブランドでそろえてみた。
チューナーはYAMAHAのデジタル(きょうび当たり前か)、プリメインアンプとCDプレーヤーはMARANTZ、スピーカーはなんとJBLである。
これでも当時私がかき集めた金額を大きく下回っている。
技術革新というのはありがたいものだ。

現在は事務所のミーティングルームに鎮座しているが、ほんとうはもっと広い部屋で大音量で昔聴いていたような曲をかけてみたいものだ。

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ノスタルジーは突然に 

キムラのすき焼き

今日、墓参りのあとこの界隈で買い物をした。
そして出くわしたのがご存じ、京都寺町のキムラ。
すき焼きが名代である。
四条寺町を上がって西側に堂々とした店構えで、昭和の時代からずっと鎮座する。
何でも創業は昭和7年と言うから実に3/4世紀もがんばっていることになる。
私が子供の頃からこの店構えは一切変わっていない。6つの「キ」の中に「ラ」があるマークも変わっていない。

この寺町通や新京極通にはいまだに昭和の面影を残した店が少なくない。
坂本の漢方、ロンドン焼き、アーミーヤマモト、スタンド、へたな表札や、田毎、かに道楽など多少は変化しているものの、昔の面影を色濃く残している。

私が小さい頃、新京極や寺町は今よりもっと賑わっていたように思う。
当時は郊外のショッピングモールやアウトレットなどはもちろんないし、河原町も含めたこの界隈で買い物をするのが贅沢だった。
よそ行きの格好で、晩ご飯も出たついでに外食、というのがとても贅沢で、楽しくて、わくわくしたものだった。

松竹京映、ティアトル72、京極東宝、菊映、弥生座、松竹座など映画館も多くあったし、今では考えられないが「ウナギ釣り」や温泉場のような「射的」もあった。
そして最もセンセーショナルだったのは「蝋人形館」である。マリリンモンローやプレスリーの蝋人形を一通り見終わるとフランケンシュタインと記念撮影ができるというサプライズまでついていた。
京都花月も現在のモンベルのあたりにあったし、蛸薬師通にはまるで闇市のように靴やベルトを売る半露天の店が並んでいた。

そんな昭和の情景を今でも伝える数少ない店がこの「キムラ」だ。
もちろん、入り口で靴を脱いで2階に上がるというスタイルも健在である。

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B級ヒーローが懐かしい。 

YOUTUBEというのは時に意外な発見や懐かしい映像を提供してくれる。

たまたま何かの映像を探していても、気がつくとむかしのCMやアニメをあさっていたり、好きだったアイドルの映像を見て年甲斐もなくホットな気分になったり。

最近はイベントの告知などビジネスでの利用も当たり前になったので、ますます利用することが多くなったが、いつも行き着くところはそういう映像探しだ。

今日行き着いたのは「ミラーマン」。いわゆるB級ヒーローだ。



ヒーローものには大きく2種類ある。
1つは等身大もの。そしてもう一つはどでかいやつだ。

等身大ものといえば、いまだにつづいている仮面ライダーがA級だろう。
そして、超人バロムワン(○○ゲルゲというおぞましい怪人が毎週出てくる)、怪傑ライオン丸(馬に乗ってやってくる)、レインボーマン(戦う前にお経を上げる)、キカイダー(機械のくせに背負っているギターはエレキギターではなく、アコースティックギター)などがB級か。

どでかい奴もけっこういる。A級はなんといってもウルトラマン。
B級ではサンダーマスク、スペクトルマン、ジャイアントロボ、そして登場ミラーマンだ。

だいたいの変身するヒーローは、何か変身するための道具を使うものだが、こいつはそんなものはいらない。
よくその道具をなくしたり、敵にとられたりして変身できないという間抜けな奴もいたが、こいつにはそんな危険はない。何しろ鏡のように自分が写るものさえあればいいのだ。
鏡があれば最高だが、いわゆる鏡面仕上げのようなものであれば何でもいい。水面やスプーン、ナイフといったものでも変身してしまう。
便利な奴だ。

私は小学校の頃、お年玉でこのミラーマンの変身セットなるものを購入した。
もちろん親はあきれていた。

仮面、手袋、上半身用の衣裳はサイドをひもで縛る。両足用も同じ仕組みだ。そして最後にベルトを締める。
完璧だ。

しかし、小学生の私にはひとりで着ることはできなかった。
いちいち親に頼み込んで変身していた。
そして、市営住宅の廊下や階段を走り倒すのだ。


そんな甘酸っぱい思い出を
今日も私にYOUTUBEはよみがえらせてくれるのだ。

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オリビア・ハッセーが好きでした 

オリビア・ハッセーが好きでした。
中学3年の頃です。

この頃私は自分の中で大きな変化に気づいていました。
小学校4年生からずっと好きだった桜田淳子にあまり興味がなくなってきていたのです。
ファンクラブにも入り、会報誌の「さくらんぼ」が届くのを心待ちにしながら、彼女が出るテレビ番組はすべて録音するという徹底ぶりでした。
コンサートへも何度も足を運び、LPはすべてもっていましたし、部屋に壁や天井はすべて桜田淳子のポスターで埋め尽くされていました。

それほど好きだった桜田淳子にあまり興味がなくなってきたのです。

代わりに興味がわいたのは一人ではなく複数でした。
大場久美子、杏里、小林麻美、そしてあのオリビアハッセーです。

ロミオとジュリエットに出演した時の彼女の清純な美しさは、今まで見たこともないまぶしいものでした。
一気に私のランキングの中でトップに躍り出た頃、なんとカネボウがCMに起用したのです。

そのときの歌がこれ。



あの霧の摩周湖の布施明がなんとエレキギターをもってポップな曲を歌い倒します。相当な歌唱力がないと歌いきれないこの曲をいとも簡単に歌い上げるのです。作曲はあのゴダイゴのキーボーディストであるミッキー吉野。

そしてこの曲をきっかけに布施明はこともあろうにオリビアハッセーをゲットしてしまいます。(後に離婚)

16歳の小泉少年は、途方に暮れたものでした。
そして誓うのです。
「絶対歌がうまくなってやる!」

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走れ!8マン 

エイトマン

オーバー45の方、特に男性は「エイトマン」を知らないはずがない。
このシールは、うちのスタッフが何かのおまけについていたものをくれた。
もちろん彼女は再放送すら見たことがない。

♪光る海、光る大空、光る大地・・・・で始まる壮大なテーマソングは、私と同世代なら歌えないはずがない。

♪走れエイトマン、弾よりも速く・・・・
この走り方で弾よりも速く走れるのかどうかははなはだ疑問ではあるが、テーマソングの映像ではもっと速そうだった気がする。



もう一つ大きな発見があった。
なんとエイトマンは赤いタイツに黄色いブーツを履いていたということだ。
しかも胸板は緑色。赤く大きな「8」のプリントがオシャレだ。
エイトマンはレゲエ好きだったとは・・・・。以外だ。

流し目もいい。たしかにテーマソングの間も流し目連発だ。

気になったのでネットで検索。
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E3%83%9E%E3%83%B3

調べて初めてわかったことだが、私が見ていた8マンも実は再放送だったようだ。
私は1963年生まれなので0歳の時に放映していたものを覚えているはずがない。

もう一つ驚いたのは、このテーマソング、あのゲバゲバの前田武彦作詞だということだ。
前武恐るべし。

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