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今年もこの季節がやってきた 

12月の街

今年もまた12月が来ます。
私は昭和62年の12月1日に事務所を開設しました。今からもう28年も前のことです。
当時私は24才、たった3年半の経験しかありませんでした。
自分で事務所を開設し、独立した時期が良かったか悪かったかは正直わかりませんが、あのタイミングで独立していなかったら、ひょっとすると未だに会社員だったかもしれません。

たった3年半の若造ですから経験はもちろん、能力もたいしたことはありません。まわりのデザイナーが自分より仕事ができる人ばかりな気がして、相当な焦りもありましたが、もともとそういう逆境にはめっぽう強いタイプでしたから、何とかここまでやってこれた気がします。

上の写真は現在のグランフロント大阪のイルミネーションです。
私は独立当初今よりも大阪の得意先が多く、事務所としていた自宅の自分の部屋から阪急電車に揺られ、大阪まで打ち合わせや納品に行くことがよくありました。
28年前はちょうど大阪駅前の再開発が進められていたころで丸ビルやヒルトンのまわりは工事中の塀が目立っていました。それでもまわりのホテルはクリスマスパーティーや忘年会へ向かう人々でごった返していました。当時は日本中がバブルに向かって一直線に駆け上がっていたころです。コットンクラブという映画の影響もあってか、パーティーへ出席するための衣装として、カマーバンドや蝶タイ、サスペンダーという20年代ファッションが流行したり、女性もまだワンレン・ボディコンといわれるスタイルが流行していました。
そういう人々が楽しそうに騒いでいるのを横目で見ながら、自宅へ戻ってまだまだ仕事をしなければいけない私は、会社員時代に買った安物のツイードコートで寒さをしのぎ、足早に梅田駅に向かったものです。

私はこの季節にイルミネーションを見ると必ずこの時のことを思い出します。
このブログでも何年か前に書いていますが、強烈な疎外感と焦燥感に包まれ、先行きの不安と戦いながら、スタートの1ヶ月目を過ごしました。

まだインターネットはもちろん、デザインでパソコンを使うということも想像できなかった時代です。

あれから28年、この時の何とも言えない気持ちを持ち続けてこれたことが、私の原動力になっているのかもしれません。
12月梅田のイルミネーション・・・・。私にとってはそういう光景なのです。

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それいけ新聞配達少年! 

あまり信用してもらえませんが、学生時代苦学生だったこともあり、私はかなりたくさんのアルバイトをしていました。
短大を卒業して就職し、初めてもらった給料は、学生時代のアルバイトで稼いでいた1ヶ月の給料より大幅に少なかったほど、たくさんのアルバイトをしていました。
その中で最も長期間続いたのは、新聞配達です。地元京都新聞の朝刊。
今から32年も前のことですが、1ヶ月働くと朝2時間程度で約3万5千円から4万円。高校生や大学生には結構な収入です。しかも早朝ですから他の予定に影響も少ないので都合が良かったのです。

ただし、これが結構辛い。
朝は常に4時半起きです。雨が降ろうが雪が積もろうが台風が来ようが常にその時間です。もちろん元旦もです。
ですからこの頃私は、夜9時か10時には寝ていました。

最も辛いのは、梅雨時期と真冬の雨です。両手を使わないといけないので傘は差せませんから「カッパ」というやつです。しかも今のように薄くて軽いものは相当高価でしたから、一般的にはビニールでできた重くて蒸れる雨合羽というものです。そういう天気の日は朝、家を出るときにほんと情けなくなったものです。

配っている道中も、突然飼い犬にほえられたり、朝帰りの酔っぱらいと喧嘩をしたり、これから配る新聞を盗まれたり・・・・、さんざんな目に遭うときもあります。

でも中には、いつも私が配達するのを玄関で待っていてくださる老人や、夏の暑い日にはジュースをくださるおばさん、正月にはお年玉を用意してくださる方など、実際に人の温かさというモノを感じる本当にいい経験になりました。

卒業して就職するために新聞配達を辞めるとき、京都新聞社から優秀配達員として表彰もしていただき、感謝状と記念のメダルをもらいましたが、それはいまでも大切に取ってあります。

どうか皆さん、汗まみれになって新聞を配っている少年を見かけたら
「おはよう」と声をかけて、温かい目で見守ってあげてください。

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