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京都市バス、地下鉄の増客は叶うか 

京都市の地下鉄乗客1日5万人増計画が予定通り進んでいるという記事が出ていた。
いわゆる駅ナカビジネスや近隣の商業施設がオープンしたことなど追い風もあってのことだが、山之内浄水場の跡地に大学を誘致するとか、駅構内でパフォーマーによるミニライブ、野菜販売など地下鉄に乗って○○○○しましょう的な方策ばかりが目立つ。

確かに、駅やその周辺でのイベントや商業施設、公共施設があれば乗客は一時的に増えるだろう。
しかし、京都市はもっともっと大切なことを忘れている気がしてならない。

それは公共交通としての性能だ。
公共交通の性能とはすなわち利便性である。
いくらそこに魅力的なイベントや商業施設があっても、その交通機関の性能が劣悪であっては他の交通機関に人が流れるだけで、徐々に乗客が減っていくのは明白だ。
現にそれ故京都市の地下鉄はいままで乗客が増えなかったと言っていい。

たとえば、昨秋。京都は観光シーズンたけなわである。
週末ともなると沿線の名所は観光客であふれかえる。
それでも善良な市民は地下鉄が赤字だ赤字だと騒ぐので少しは足しになるかと、地下鉄に乗ろうとする。
ところがだ・・・・。
一歩駅構内に足を踏み入れると、ホームからあふれんばかりの人、人、人。
ようやく来た電車にも乗り切れずにホームで立ち往生だ。
こんな時期に人が多くなることは素人の私にでもわかる。
なのにこの無策さは何だ。

ところが平日の昼間など、ホームに人影はほとんどないことも珍しくない。
それでもがらがらの電車は走っている。

市バスにしてもそうだ。雨の日など朝のラッシュ時はバス停で長時間待たされたあげく、満員のために乗せてもらえず通過されてしまう。
先日、京都新聞の投稿欄に23歳の主婦が、雨の日ベビーカーに子供をのせてバスを待っていたが、いつまで経っても満員で乗せてもらえないし、乗れそうでもだれも手を貸してくれないので仕方なしにタクシーに乗ったという内容の記事があった。その主婦はもう二度と市バスには乗る気がしないのでがんばって普通免許を取る気だという。

私は昔高校生の頃、京都市立の高校に通っていた。
雨の日になると決まって満員のバスは通過して乗せてくれない。予定時刻に遅れた上に乗せてもくれないのだ。
おかげで学校は遅刻だ。
遅刻というのは当然成績にも影響する。
そこで私は学校の先生にかみついた。
「京都市立の学校に通うために京都市のバスに乗ろうとしても満員だからと乗せてくれない。それで時間に遅れたからと遅刻になるというのは納得できない」と。

それ以降私や友人は何人かでタクシーに相乗りをしたり、少々の雨なら危険を承知で傘を差しながら自転車で行ったりするようになった。

客離れというのはこうして起こるのだ。
最近でこそ運転手の対応も改善されてきたが、以前はお世辞にも良いとは言えなかったし、地下鉄では他都市よりも運賃が高い。
その上、市バスの運転手の給与は民間のバス会社より高いという。

こんな状態でいくら駅の周りを活性化させても、交通機関として性能を発揮できなければ客離れが加速するだけだ。
もっと交通機関としての基本性能を磨き、顧客満足度の高いものにしなくては乗客増など一時的なものでしかないのだ。
観光シーズンなどの混雑が予想されるときはもっとフレキシブルに臨時便を出せるシステムを充実させるとか、乗客の多い便、少ない便を精査し、ダイヤに無駄がないかをチェックするとか、やれることはまだまだあるはずだ。

共汗などと、さも自分たちだけが今まで汗を流してきたかのような言い方をしたり、ささやかなイベントで盛り上げようとするのもいいが、その前にもっと公共交通機関の担い手として考えるべきことが、山ほどある様な気がしてならない・・・・・。

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京都のデザイン界 1 

私は今年48才になる。いいかげんいい年だ。
長男は今年成人式を迎え、その長男と同い年の子が4月から社員として働いてくれる。
従業員が自分の息子とついに同じ年齢ということになった。

自分の事務所をもって24年目。と、いうことは私の人生の半分を費やしていることになる。
これだけ長いことやっていると、京都のまちにおいてのデザイン界というものが、ほおっておいてもうっすら見えてくるものだ。

京都という街は、東京や大阪に比べるとずいぶんと小さいし、マーケットも限られている。
しかし、他の地方都市とは様子が明らかに違っていて、同じような判断基準は当てはまらないことが多い。
それは、1200年の伝統というものがいい意味でも悪い意味でも脈々と息づいているからだ。
特にビジネスにおいては、他の都市から移ってきた人たちにとって、なかなかなじみにくい土地柄のようである。

そんな中で私たちが生業としているデザインという世界は、はたして今どの様な状況なのだろうか。

先の見えない不況、ビジネスモラルの欠如、過当競争による経営環境悪化、次世代の人材不足など業界を取り巻く状況は決して明るいとはいえない。
しかし、そんな中でも何とか生き延びなければ、時代の流れに淘汰されるだけだ。
時代の流れにそのまま身を任せていても、何とか成長していけた時代と訳が違うのだ。

ただ、時代の流れがいい方に流れるのを待っていても、闇雲に年を重ね、隠居を待つだけなのは明白だし、かといって自分たちの力で時代を変えるようなことは、今の日本という国ではできそうもない。

こういう八方ふさがりの状況を打ち破るすべを見つけないと、京都のデザイン界に未来は全くない。

何も私が大見得を切って、声高に「なんとかしようぞ!」などと叫んでみても、うちの事務所にとってたいしたメリットは生まれないだろうし、第一その叫びをどれだけの同胞たちが受け止めてくれるかもわからない。

と、悲観的なことばかりを考えてしまいそうだ。

しかし、今年私はあえてその意味のないかもしれない
大見得を切ってみようと思う。

年頭に誓ったように今年、私は自身の能力の100%をだしきるときめたのだ。

具体的に何をどうするかはこれからじっくりと考えていくとして、とにかくまずはMOVEMENTを起こそう。

それが将来の京都デザイン界繁栄につながれば、自ずと自分の事務所も恩恵を受けて繁栄できるはずだ。
そのことを信じて、とにかく今年は動くつもりだ。

それはきっと私世代のデザイナーに科せられた責任であり、私世代デザイナーにしかできないことなのだ。
うまくいくかどうかはわからない。
しかし何もしないよりはいいのは確実だ。

果たして今年の年末にどんな反省が待っているだろう。
期待と不安と使命感を原動力にとにかく走るのだ。

そのためにまず、京都のデザイン界をじっくりと眺め、問題点を洗い出すことからことから始めよう。

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新年早々海水水槽がパニック 

海水水槽

新年早々えらいことになった。
海水水槽のヒーターが突然故障してしまった。
珊瑚の開きが悪いなと思っていたら、魚まで動かなくなり、死んだように横たわってしまった。
2ヶ月前にもヒーターの電源入れ忘れで珊瑚の8割が死滅してしまった記憶がよみがえる。

とっさに水温を確認しようと水槽の中に指を入れてみると、凍るように冷たい。
低水温の恐怖がよみがえったのだ。
しかし、ヒーターのサーモスタットのランプがついているので、今回は電源の入れ忘れではない。
これはどうしたことか・・・・。
オーバーフロー水槽のヒーター本体がちゃんと温まっているかをチェックした。
やはり・・・・。

ヒーター自体が壊れている。
たしかに水槽を購入してそろそろ2年。ヒーターも寿命が来るころだ。

水温を確認すると15℃しかない。これはかなりやばい(この場合の「やばい」は「都合が悪い」とか「これはしまった」という本来の「やばい」)。
一刻も早く復旧しなければならない。

ここで私は、すばらしいことに気づいた。
ヒーターもサーモスタットもちゃんと予備が買ってあったことを思い出したのだ。
とりあえず道具をたくさんそろえることが趣味の醍醐味と考える私の性質がここで花開いたのだ。

海水水槽2

早速ヒーターとサーモスタットを交換し、水温を少しでも早く戻すためにお湯を用意。
カルキ抜きを済ませ、オーバーフロー水槽に約35度のお湯を投入。
何とか水温は20度にまで回復した。

しばらくして水槽内を除くと、なんとさっきまで死んだように横たわっていた魚たちが、完全に復活して泳ぎだした。珊瑚たちも徐々に開きだしている。

よかった・・・・・・。
珊瑚も魚もすべて無事だ。

うちの水槽に暮らすカクレクマノミは、なぜかイソギンチャクではなく珊瑚の中に入る。
珊瑚といっても見た目には完全にイソギンチャクなので、きっと間違っているのだろう。
上の写真の真ん中にある触手を広げたのが、イソギンチャクではなく珊瑚なのだ。

珊瑚というと浦島太郎のお話に出てくるような真っ赤な枝上のものを想像しがちだが、実は珊瑚もイソギンチャクも同じような仲間なので、見た目には見分けのつかないものも少なくない。
うちの水槽のこいつはまさにそれだ。
人の目どころかカクレクマノミまでも区別がつかない。

そうこうしているうちに水温も26度に回復し、事なきを得た。

新年早々人騒がせな水槽だ。
今年もまた私の悩みの種であることに変わりはなさそうだ。

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初詣 

元祇園梛ノ宮神社

毎年私は元旦に近くの神社へ初詣に行く。
元祇園梛ノ宮神社というそれほど大きくない神社ではあるが、聞くところによると建立は870年、つまり平安時代にまでさかのぼるらしい。
もちろん今ある社殿は当時のものではないが、街中の小さな神社のわりにはそれなりの雰囲気を持っている。

この神社へ初詣に行くようになってもう10年以上になるが、ここ2年ほど急に様子が変わってきた。
それまではたとえ元旦であっても、境内に10人も人がいれば多い方であったが、なぜかここ2年、急に人の姿が増え、参拝のために行列ができるほどとなった。
社務所にも以前は間に合わせ程度の御守りと破魔矢がひっそりと用意されていただけだったのが、ここ2年は御守りも10種類以上、干支の置物、干支の一刀彫り、破魔矢、干支の凧、おみくじ、御神酒などおおよそ初詣の神社にふさわしいだけのものが用意されるようになった。
おまけに今年などは、社務所で御守りを販売する神官に市会議員の姿まで見られるという力のは入り用だ。

これはいったいどうしたことか。
参拝の行列には家族連れに混じって若者同士のグループやカップルの姿も多い。
数年前に新撰組がブームになったときでもこんなことはなかった。
(この神社のすぐ近くに新撰組が駐屯していた八木邸や壬生寺がある)

最近のパワースポットブームによるものかもしれないと思ったが、ここの神社はとりたててこれに御利益があるというような話も聞いたことがない。
世の中の不景気や物騒な話を少しでも明るい方へ導かれるように参拝する人が増えたのか、それとも何か神社が参拝者増加の手だてを考えたのか・・・・。

実に不思議な神社である。

それは余談として、私自身はいつも参拝するときに心がけていることがある。
拝殿の前に立って、二礼二拍手一礼のあいだに、私の周りの空気を一気に取り込んでそのあたりに漂う力を吸収する感覚を持つのである。
どちらかというと私は宗教とか迷信とかがあまり好きではない。というか興味が第3者的である。
自分が信仰心を持つというより、様々な宗教の背景や成り立ち、歴史の方に興味がある。
だが、初詣だけは欠かさずいっているし、先ほどのようにパワーを取り込もうとしたりする。
それは、そのパワーを信じているのではなく、毎年元旦にこれから始まる1年の意気込みを自分自身で確認するために行っている。
自分自身を奮い立たせることができれば良しと思っているのだ。

そのことに効果があるのかどうかは定かではないが、今年もやはりそうした。
大晦日に書いたように今年は100%力を出し切るという意気込みを参拝しながら誓ってきた。

さあ、始まった。
今日は初詣とブログ更新用のムービー作成。
初日はまずまずのスタートだ。

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