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26年が過ぎ、27年目が始まる 2 

大きな転機というのは、会社に勤めていたときに担当していたW社のDOLCEというブランドから、私のところへ直接依頼をしたいと前に勤めていた会社を通じて依頼があったことだ。
それがきっかけとなり、前につとめていた会社の大阪支店店長からも依頼が来るようになった。
会社を辞めるときにもうアパレルの仕事をすることはないだろうなあと思っていたので、正直これはうれしかった。
自分のやっていた仕事が認めてもらえていたということを実感できたし、天下のW社から直接依頼が来たということが自分の自信にもつながった。

それ以来、うちの事務所はいわゆる一般的なグラフィックデザインとアパレル向けのデザインの2本柱でまわっていくこととなった。

ただ、相変わらず一人というのはきつかった。
当時はアナログなので写植の発注やデザインのラフを大阪へ出張する阪急電車の中でこなしたり、妹の結婚式に向かうJRの中で刺しゅうやプリントのデザインをしたりしていた。

世の中は完全にバブルに向かっていたし、私のクライアントも例に漏れず羽振りが良かったが、たった一人で仕事を夜中までこなす私には、そういう実感はまるでなかった。

大阪で打ち合わせを終えたある夜、梅田の丸ビルの前でクリスマスパーティーに興じる若者の団体を尻目に、まだこれから京都に戻って仕事をこなさないといけない私は足早にそこをすり抜けた。
そのときの何ともいえない疎外感というか孤独感は一生忘れないだろうと思う。

とはいえ、とにかく走るしかない私は仕事をこなし続けた。
年が明け、正月も返上で働いた私は、そろそろ自宅の事務所に限界を感じていた。
もちろん自宅の二階の和室6畳にクライアントを招くこともできないし、手伝いに来るスタッフが仕事をする場所もないからだ。

そこでついにワンルームマンションを借りる決意をした。
MY OFFICEの第一歩だ。

つづく

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26年が過ぎ、27年目が始まる 1 

12月1日を迎えると私の事務所はまる26年が経過し、27年目に突入することになる。

私が事務所を持った26年前の1980年代後半は、これから一般庶民のもとへバブルがおりてくるという時期だった。
会社も今ほど休みが多いわけでもなく、もちろん携帯電話もまだまだ一般的ではなかった。会社の営業マンはポケベルというものを持たされていた時代だ。

そんな時代の11月いっぱいで勤めていた織ネーム会社を辞め、自分の事務所を持った。
入社して3年と8ヶ月、24歳の時だ。

会社を辞めた理由はもちろん一つではないのでここで書くのはよそう。
いづれにしてもまだまだ若僧であったので、若気の至りでスマされるような気軽さも助けたのは間違いない。
ただ、会社を辞めるにあたっていろいろ事情があり、私以外のスタッフ2名も半年後には合流することが決まっていたので、売上をどうつくっていけばいいか、そればかりに意識が行っていた。
私は会社を辞めた時点ですでに何軒かのクライアントを確保できていたので、自分ひとりくらいが食っていくことは問題なかったが、3名となるとプレッシャーは半端なものではなかった。

すでに持っていたクライアントの中には大阪の会社も2件ほどあったので、ちょくちょく打ち合わせに大阪まで出向くことがあったが、そんなときは決まって阪急電車であった。
最初事務所は自宅の自分の部屋(和室6畳)だったので、最寄りの特急停車駅である大宮から乗ることが多かった。

想像が易いと思うが、自宅の事務所というのは不便きわまりない。
たった6畳の部屋にベッドと本棚と机とステレオ。若い頃オーディオマニアだったなごりでどでかいスピーカーが2本鎮座していた。その上冬に突入する時期であったので、石油ストーブまで置かれていた。
嘘のように狭い。
さらに、そこへなんとコピー機まで持ち込んだ。当時最新機種だったCanonのレーザーコピーだった。世の中はまだコピーというものにデジタルが入ってきていない時期だったので、一般のものの2倍以上の値段だったが、出入りの画材店社長に言いくるめられリースを組んだ。
もちろん会社を辞めて間もない24歳の若僧にFAXも合わせて200万ものリースを簡単には組んでくれないが、当時まだ健在であった母親を保証人になんとか通せた。

最も困ったのは電話だ。
うちの家には当時黒電話しかなかったし、おまけに回線も玄関の下駄箱までしか来ていなかった。
しかたがないので最新鋭のFAXをその下駄箱の上に置き、黒電話と併用することとなった。
FAXはそれで問題はなかったが、いちばん困ったのは外出しているときの電話番だ。今は携帯電話が当たり前の時代だが、当時はそんな高価なものを使えるわけもなく、ポケベルすら持っていなかった。
必然的に電話番は極めて自由奔放な人生を歩んできた祖母に頼るほかはない。
これが非常につらかった。伝言はまずちゃんと聞けていないし、クライアントに対して丁寧に接すると言うことがまったくできない。もともと嫌々やっているのだから当たり前だという感じが相手にも伝わってしまうのだ。

そういう不便を乗り越えて、奇跡的にスタート1ヶ月目からなんとか目標の売上を確保することができた。
それにはのちのちコイズミデザインファクトリーの領域を拡大することとなる大きな転機あったからだ。

次回へ続く。

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長い間デザイナーでやっていくには  詳細15 

数えに数えて15回目

1 自分の得意なことをどんどん磨こう。
2 少しでもたくさん稼ぎたいと思おう。
3 相手に「これは私にはできません」と簡単に言ってはいけない。
4 失敗してもいいからやったことのない仕事も受けよう。
5 やったことのない仕事のことはこっそり隠れて勉強しよう。
6 絵の下手なデザイナーは大成しない。デッサンは基本。
7 好き嫌いだけでデザインの善し悪しを語ってはいけない。
8 身近な先輩を
どんどん追い抜いていこう。
9 自分に対する投資をケチってはいけない。
10相手が間違ったことを言ったり
理不尽なことを言うときは堂々と対決しよう。
11 自分の立場を守りたいなら
自分の実力を相手に認めさせよう。
12 時間にコストの感覚を持とう。
13 自分でできる領域を少しでも広げて、受注の数と範囲を増やそう。
14 自分のキャラから想像もつかないような「意外」な仕事ができるようになろう。
15 色のセンスに自信を持てるようにヨハネス・イッテンの色彩論を勉強しよう。
16 ファッション雑誌のカラーコーディネート記事のいい加減さを見つけられるようになろう。
17 巷にあふれる広告やデザインをよく見て、いいところと悪いところを自分なりに考えよう。
18 市場調査に勝る勉強法は無し。
19 資料や本は宝と思え。
20 服装は自分自身のプレゼンテーション。

よく色使いは「センス」が必要だと言われる。
しかし、色をセンスで片付けているうちはデザイナーとして半人前である。
もちろん色には好き嫌いというものがあって、万人が良いというものなどない。
それは食べ物に好き嫌いがあったり、音楽やファッションにも好みがあるのと同じだ。

ただ、色というのは他でも書いたが、本来まったく平等なもので、ある色単独では美しいも汚いもない。
明るいとか、暗いとか、鮮やかだとか、濁っているとかいう表現はその色を客観的に表現しているだけなので間違っていないが、1つの色を見て「これは良い色だ」とか「この色はセンスが悪い」というのは間違っている。
それはその人が好きか嫌いかという問題であって、良い色か悪い色かというものではないのだ。

色というのはその隣に違う色がやってきて初めて良いか悪いかという判断ができる。
その色の隣に違う色を持ってくることを「配色」と言うが、これとて所詮好き嫌いがある。
ただ、この配色というのはちゃんと理論があって、それを使いこなせるかどうかでそのデザイナーの配色能力が変わる。
つまり、配色は理論であり、法則であり、共感を得るための方法論だ。
その方法論についてここで書き出すと長くなるので避けたいが、その方法論を得るのに最適な理論がある。

それがヨハネス・イッテンの色彩論だ。
こういう理論の上に組んだ配色は、自分自身に対して説得力があるので、クライアントにも自信を持って提出することができる。たとえクライアントがそれにノーと言ってもそれは好き嫌いの問題として理解できる。

デザインの要素の中で色に関することはどれも正解というものがないだけに、こういうよりどころを自分の中で持つことは非常に大事だ。

世の中のデザイナー諸君は学生時代に習ったかもしれないが、今からでも遅くはない、ぜひ勉強されたい。


色彩論色彩論
(1971/01/16)
ヨハネス・イッテン

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長い間デザイナーでやっていくには  詳細14 

数えに数えて14回目

1 自分の得意なことをどんどん磨こう。
2 少しでもたくさん稼ぎたいと思おう。
3 相手に「これは私にはできません」と簡単に言ってはいけない。
4 失敗してもいいからやったことのない仕事も受けよう。
5 やったことのない仕事のことはこっそり隠れて勉強しよう。
6 絵の下手なデザイナーは大成しない。デッサンは基本。
7 好き嫌いだけでデザインの善し悪しを語ってはいけない。
8 身近な先輩を
どんどん追い抜いていこう。
9 自分に対する投資をケチってはいけない。
10相手が間違ったことを言ったり
理不尽なことを言うときは堂々と対決しよう。
11 自分の立場を守りたいなら
自分の実力を相手に認めさせよう。
12 時間にコストの感覚を持とう。
13 自分でできる領域を少しでも広げて、受注の数と範囲を増やそう。
14 自分のキャラから想像もつかないような「意外」な仕事ができるようになろう。
15 色のセンスに自信を持てるようにヨハネス・イッテンの色彩論を勉強しよう。
16 ファッション雑誌のカラーコーディネート記事のいい加減さを見つけられるようになろう。
17 巷にあふれる広告やデザインをよく見て、いいところと悪いところを自分なりに考えよう。
18 市場調査に勝る勉強法は無し。
19 資料や本は宝と思え。
20 服装は自分自身のプレゼンテーション。

これは簡単に言えば「意外性」という奴だ。
例えば私のように50を超えたおっさんが、20代の女性たちにもうけ入れられるようなデザインをしたり、イラストを描いたとしよう。当然クライアントはうちの事務所の女性スタッフが担当したと思うに違いない。
ところが、実は50をこえたおっさんがやったと知ったらどうだろう。
逆もある。
うちの20代の女性スタッフが、思い切りワビサビの効いた和風のデザインをしたりしたらどうだろう。

こういう意外性というのはとても大事だ。
50のおっさんが古くさいデザインばかりしかできなかったり、20代の女性デザイナーがいつもいつもカワイイものばかりしているのと比べてみよう。

明らかに前者の方が好印象に決まっている。

ただ、これを実現するのはなかなか難しい。
デザイナーとしてかなり幅の広い知識と経験とセンスと技術がいるからだ。

どちらかというと50のおっさんが20代の女性向けのものをする方がたやすい。もちろん経験と技術はすでにあるからだ。しかし、20代のデザイナーが熟練したデザイナーと同じような味を出すというのはかなり至難の業だ。

でもここはあえてそれを目指そう。
そう簡単にできることではないが、それを目指し続ければ10年、20年先にきっとデザイナーとして1ランク上の存在になっているはずだ。

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デザイナー志望の学生諸君へ 

就職戦線まっただ中。
デザイナーの就活は他業種とはかなり事情が違っている。
一般的に大学生は就活を3回生の今頃から始めるといわれているが、美大生の場合よほどの大手に入りたい場合を除いて4回生になってからというのが一般的だ。

特に小規模のデザイン会社などは夏頃になってやっと求人を出したりするので、あまり早く決めてしまうとあとから良いところが出てきた・・・ということになりかねない。
かといってそれを待っているわけにも行かず、学生にとっては悩ましい状況だ。

さらに、状況を複雑にしているのは男女雇用機会均等法という法律。
求人時に男女の区別を指定できないという法律があるので、本当は男性が欲しい、とかうちは女性しか採用枠はない、と思っても求人票にそう記載することはできない。
それはデザイン業に限ったことではないので今更なのだが、問題はデザイン系学生の男女比率だ。

これは圧倒的に女性が多いのだ。
一般的に男2:女8、もしくはさらに極端で男1:女9という感じだ。

ところが企業の需要は当然こんなに極端な比率ではなく、例えば4人のデザイナーが欲しいと思ったらだいたいの場合男女2名づつ、2人しか取らない場合は1人づつ、1人しか取らない場合はできれば男性・・・・というのが実情だろう。
そうなると圧倒的に男性が有利なことになる。
この状況を男女雇用機会均等といえるのかどうかは別の議論(就職希望者の男女比率に応じて採用比率を決めないと平等とはいえない)として、女性にとって圧倒的に不利であるということは明白だ。

このことを女性のデザイナー志望者はあらかじめ頭に入れて就活に挑まなければならない。タダでさえ女性が不利だといわれている就活だが、女性のデザイナー志望者にとってはさらに厳しい現実なのだ。

がんばれ!!!女性のデザイナー志望者!!
のほほんとやってる男子になんか負けるな!!

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