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26年が過ぎ、27年目が始まる 8 

駆け出しの事務所が、周りの躊躇している老体事務所に、この魔法の箱でアドバンテージを取るためには大きな3つの問題を解決する必要があった。

●資金
ここでもやはりリースという手段しかなかったが、問題はリース会社がOKを出すかどうかであった。幸いコピー機の時のように会社を辞めて1、2ヶ月と言うことはなかったので、保証人さえ立てれば何とか通ると言うことであった。当時、松吉画材に出入りしていたCanonの販売会社を通し、多少の便宜も図ってもらった。

●高価なマシンでどう採算を取るか
何せソフトも含めると車1台分の投資であるから、採算をどう取るかと言うことが課題だった。
おそらく、一般的なデザイン会社の場合ではこの点がまったく解消されないと思われていた。
今になって思えば、この問題を解決できたことが京都デザイン界の中で後発であったうちの事務所が、一気に他社に追いつけた要因であったと思う。
それを解決できた最大の理由、それはうちの事務所が一般的なグラフィックデザインだけではなく、アパレル向けのグラフィックを多く手がけていたことだった。
一般的なグラフィックデザインでは、出力環境、日本語環境が大きな問題であったが、うちの場合、アパレル向けのグラフィックではほとんど日本語を使わないし、印刷のような高精度の出力環境も必要ない。オマケに英語フォントは当時から結構たくさんあったし、今までのようにインスタントレタリングやスクリーントーンを大量に買わなくて済む。
ワッペンや衣料の刺繍にしても、Tシャツなどのプリントにしてもその当時のMAC環境で何とかなったのだ。
現に、MAC導入後インスタントレタリングなどの節約できた費用がリース代を上回るまでにそう時間はかからなかった。
つまり採算を取るどころか、経費節減に大きく貢献してくれたのだ。

●誰が操作するか
ご承知のようにデザイナーというのはコンピュータなどと言う理系の象徴のような機械にはまったく持って無縁であったので、この問題はかなりハードルが高かった。
何せ、コンピュータというのがどれだけのことができるかまったくわかっていないし、それを使いこなしてデザインを制作するなどと言うことなど皆目見当がつかなかった。
そこで私が取った行動は、まずコンピュータというものがどれだけ素晴らしい機械であるかと言うことを実感するために、なんと任天堂のファミリーコンピュータというものを手に入れた。初代のアイボリーとエンジでできた超原始的なコンピュータゲーム機だ。今から思えば誠に恥ずかしい話だが、そんなレベルからの挑戦だった。
そしてそのコンピュータの感想は「驚き」以外の何ものでもなかった。たった数万円の機械と数千円のソフトでこんなに世界が広がるのだから、200万円をゆうに超えるMACならさぞかし素晴らしい仕事ができるんだろうと思った。
そして、その機械を操ることができれば、デザイナーとして一気に先団に取り付けるだろうと思った。
そのためにはまず、自分が使えるようにならないといけない。この機械を誰よりも先にデザインというビジネスの中で使いこなせるようにならないといけないと思った。自分自身で使えるようになりたいと思ったのだ。
私自身が使えるようになれば、スタッフもおそらくスムーズに入っていけるだろうし、使えるようになったスタッフがいなくなっても自分が使えれば問題ない。

そうして3つの大きな問題は見事に解決し、いよいよ導入と言うことになった。

つづく。

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「京都の社長TV」に出演 

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26年が過ぎ、27年目が始まる 7 

MACがデザインという仕事に浸透するまでに長い時間がかかったことにはデザインの業種毎にいくつかの理由があった。
まずグラフィックデザインの現場では最も賛否両論激しい意見のぶつかり合いがあった。
●日本語に弱い。
これはMACが普及するのに最も大きな問題となったことだ。なにしろ漢字の変換が鈍くさい。当時ワープロソフトと言えば日本中が一太郎と相場が決まっていたが、その変換能力とは月とすっぽんと言うほかなかった。しかも、日本語のフォントがあまりにも少なかった。当時は写植全盛の時代であったが、そのフォントは日本語だけでもファミリーを含めれば何百とあったが、MACには2つしかなかった。
●デザインがいかにもコンピュータでやりました、という感じになってしまう。
これはMACの問題と言うより使う側の問題である。しかし、当時の反対派はここに最も固執した。
●版下にするすべがない。
当時はもちろんデータを渡せば印刷できるなどという時代ではなかったため、いくらデザインをMACで仕上げても、結局は版下というアナログな方法に戻さなければいけなかった。
●画像が実質扱えない。
理論的には画像も扱えるものではあったが、実際当時のマシンスペックでは到底実用的でなかったし、Photoshopというソフトも一般的ではなかった。

次にファッション界。
●コンピュータになじみがない。
グラフィックデザイナーでもそうであるが、もともとデザイナーになる人種というのは文系の最も端っこに位置するものなので、コンピュータなどと言う超理系な代物には極度のアレルギーがあった。
●デザイン画は手で描くものという固定概念
これはグラフィックデザインで上げた二つ目と同じように反対派が最も固執した点だ。

最後にプロダクトデザイン。
●CADなど生産ラインと直結したソフトがなかった。
産業界でのスタンダードは、当時まだMS-DOSであったし、Windowsすら一般的でなかったので、MACの出る幕など当然無かった。

そしてすべてのジャンルにいえることが
●価格が高すぎる。
前にも書いたが、1セットそろえるとちょっとした車が買える金額であったので、もともと小規模のデザイン会社では元を取ることができないと思われた。大人数の印刷会社のデザイン室などではそれなりの台数をそろえるのに莫大な費用がかかる上、ノウハウの蓄積にかかる時間が敬遠されるもととなった。
そしてもう一つ重要なこと
●出力の環境が十分でなかった。
これは最も大きな問題であった。せっかく画面の中でデザインを制作しても出力の方法が限定されていた。
A4サイズのレーザープリンタか、カラーの場合はインクリボンを使ったQMSというあまりにも原始的なものしかなかった。しかもそんな機械は高くて手が出ないので当然出力サービスと言うことになるが、その出力サービスすら巷に存在していなかった。

これほどたくさんの欠点は私も当然把握していた。
しかし、それでも私にはこのMACという魔法の箱がいつかデザインというものを変えるという確信があった。

その理由は至ってシンプルであった。
銀行の窓口がATMになったり、電話が携帯になったり、駅の改札が自動改札になってきたように作業というものは必ず先進技術によって効率化されてゆく。現にデザイン界だって活字や手描きが写植やトレスコ、スクリーントーン、インスタントレタリングなどに進化してきた。当然その先があるはずで、現状で満足しているデザイナーでは先はない。
と、思ったからだ。

当時、私の事務所は駆け出しであったためまったく無名だったので、周りが躊躇しているうちにこの魔法の箱で一気に京都のデザイン界の先行集団に入ろうと思った。

しかし、その時点で私には大きな3つの問題を解決する必要があった。
一つは資金的なこと。
そして二つ目は、この高価な機械でどうすれば採算がとれるか。
最後に3つ目は、この難解な魔法の箱を誰が操作するか、ということだった。

つづく

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年頭の誓い 

仲真吾作品

皆様、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は様々な方々からご厚情をいただき、誠にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

私は、今年27年前の独立以来最大の課題にチャレンジする。
「攻撃は最大の防御」、だれかが言っていた言葉を信じ、守りに固執することなく、新しいフィールドへ一気に踏み出し、私個人はデザイナーとして、また事務所としての存在感を最高に高めたいと思う。

他力本願ではなく、自分たちの持っている可能性を信じ、おごることなく、ひるむこともなく、デザインという言葉の意味を勝手に狭めてしまうことなく、様々な仕事にチャレンジする。
あてになること、ならないこと、信頼できる人、できない人、見極めることに躊躇でず、自信の持てること、持てないこと、やるべきこと、無駄なことをじっくりと見定め、追随を許さない事務所になりたい。
少々の遠回りは覚悟の上。
1年先、2年先にコイズミデザインファクトリーは「すごい」と世の中に認識してもらえるように、大きな1歩を踏み出すつもりだ。
そして5年先には今まで私が描いてきた理想の事務所に仕上げたい。

えらく強気の誓いだけれど、本気だ。

それには皆様のご指導、よろしくお願いいたします。

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