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26年が過ぎ、27年目が始まる 13 

このころうちの事務所に大きな事件があった。

ある得意先の定期ものの仕事が、内々にコスト削減の意向でデザイン自体もその印刷会社がするという見積もりを通し、弊社の仕事から大きな柱を1つ奪うこととなった。
そこの印刷会社には私の大学時代の友人がデザイナーとして勤めていて、やがて彼はうちのスタッフと結婚をし、みんなで祝ったものであったが、その会社とそういうこととなったものだから、事務所内の雰囲気はあまり良いものではなかった。

もともとその印刷会社とはいくつもの問題がつづき、先方で机をたたきながら怒鳴り散らしたこともあったり、ほとほとまいっていたところにそんな話しになったものであったから、私はあっさりとその印刷会社とは縁を切らせていただいた。仕事の進め方にも大きな問題がある上に、支払いまでがいいかげんというところだったので、私の不満は頂点に達していて、事務所の売り上げの中で1/4程度の売上を締めていたにもかかわらず、思い切ってその後の発注も一切お断りした。
ややこしいもめ事はそれだけでとどまらず、その結婚したスタッフと他の女性スタッフとの不協和音や、その結婚したスタッフ自体の仕事ぶり悪化など、私の辛抱も限界を迎えようとしていた。
その女性スタッフはいつの日か旦那の会社をかばうようになり、考え方がうちの事務所とは全く馴染まなくもなっていた。

その上、そのうちから逃げた案件のデータをそのスタッフが旦那の会社に横流しするという事件が起きたものだから、限界を迎えようとしていた私の辛抱はついに大噴火し、事務所設立以来初めて解雇通告というものをした。
学生時代からアルバイトを経てスタッフになってくれていただけに、かなり迷った選択であったが、他のスタッフとも相談し、思い切って断行した。

その後は新しい得意先を探す必要に駆られたが、その事件のいかりがその自分のパワーとなり、それなりの運もあってなんとか苦境を脱したのであった。

以来、何度かその印刷会社から仕事の依頼があったが、私のポリシーとして未だに一切の仕事をお断りしている。
規模としては2部上場するようなレベルの会社だが、最近の低迷ぶりやデザイナーの処遇の悪さを考えるとうちの事務所の判断は決して間違っていなかったのだと15年が経過した今も思っている。

その騒動がそろそろ終焉を迎える頃、私はまたまた新たな問題に行き当たるのであった・・・・。

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メンズ雑誌にも素人モデル氾濫 

以前のコラムより

最近のメンズ雑誌の発刊ラッシュには驚くばかりです。昔はメンズのファッション雑誌と言えば「MEN'S CLUB」。毎月発行日を心待ちにしたものです。表紙をめくると、どう見ても自分とは違うスタイル抜群の格好いいモデルが3つボタンのネイビーブレザーにチノパンというスタイルでベスパにまたがっていたり、儀式ともいえるほど格式のあるネクタイの結び方が何通りも乗っていたりしたものです。
ところが最近のメンズ雑誌はと言うと、必ずおきまりのようにショップの店員がその店においているブランドの服を着て、何となく似合っているのかどうか微妙な感じで突っ立っているという写真が毎月何十ページと載っています。
ん・・・。どう見ても格好良いとはいえません。もちろん例外もありますが、ほとんどがそのブランドのイメージをあげているとは思えません。おそらくそのブランドのデザイナーが見たらがっかりするようなだらしないポーズで突っ立っています。
雑誌を発行する側にすれば、モデル代の節約にもなるし、その店や店員が掲載されればほっておいても宣伝してくれますので一石二鳥という感じでしょう。
ただ、やっぱりファッション雑誌というものは自分では無理だな・・・と思えるくらい格好いいモデルが洗練されたブランドを着こなしている方がいいと思うのですが・・・。

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26年が過ぎ、27年目が始まる 12 

北大路通りに面した事務所は今までよりもずいぶん広いと感じた。
烏丸の時は10坪と聞いていたが、実際はきっと8坪程度だったのであまりにも狭かったが、今回はちゃんと不動産屋を通したので図面もあったから15坪というのも信憑性があった。

各フロア1店舗だけの小さなビルであったが、念願の窓も多く、明るくて使い勝手も良さそうであった。小さいながらもキッチンもあり、ミーティング用の場所も確保できた。
ビルの前は北大路通り、すぐ近くには北山通りの洒落たショップもあるし、5〜6分も歩けば植物園もある。
環境としては抜群であった。

ただ、ひとつ欠点といえば不便なことであった。
地下鉄の北大路駅までは歩いて12,3分であったが、大阪や神戸に行くにはいちいち京都駅まで行くか、出町柳までバスかタクシーで行き、京阪電車という方法だった。実際大阪の本町界隈に行くには京阪の淀屋橋までいって歩くという方法が最も早かったが、それでもやはり、かなりの時間を要した。
京都市内の得意先に行くときもそれは同じで、往復にかかる時間は作業上問題になっていた。

書き忘れていたが、この頃まで私は通勤や得意先への移動にベスパを使っていた。車を所有していたが、仕事で使うとなると駐車場代や維持費など、結構バカにならないと思い、そうしていたが、この北大路の事務所に移ってからはさすがに冬の寒さや雨の日の不便さに負け、ついに車での通勤に切り替え、仕事の移動も車でするようになった。

今では反省しているが、最初のうち裏通りの疎水沿いに違法駐車をしていたが、1週間のうちに3度駐車違反の切符を切られ、あっという間に免停。さすがに近くの駐車場を借りることになった。
移動距離の長さとフォードのトーラスという非常に燃費の悪い車のせいでガソリン代は月4万円近くにもなり、駐車場代と合わせると毎月6万円近くの出費が襲ってきたが、やはり車移動の便利さには勝てないのであった。

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良い色、悪い色 

カラーパレット


よく「これはいい色だ」とか、「これは色が悪い」というような色に対する感想を耳する。
また、店先などで「この色はダサイ」とか「この色はオシャレだ」という会話を聞くことも。

では、良い色とか悪い色、またはダサイ色とかオシャレな色とはどういう色のことだろうか。

色というのは1色だけで見る限り、無彩色(白、グレー、黒)も含めて本来平等なもの。
「赤」より「ワインレッド」の方がオシャレだとか、「青」より「緑」の方が良い色だとかいうことは決してない。
たまたまその色を見た人が「好きか」「嫌いか」だけのこと。
その人にとって気持ちよく見ることができるかそうでないかだけの違いだ。

ただし、その色以外の色が隣に来たときに初めて「配色」という状態になり、その色同志の相性が問題となるのだ。
「配色」に関しては書き出すときりがなくなるのでまた別の機会にするが、単色である以上は「ダサイ」とか「オシャレ」などと差をつけるのは「色」に対して失礼ではないだろうか。

よく「流行色」とか「トレンドカラー」などといって1つの色をもてはやすことがあるが、それとて情報誌が毎年作り上げているに過ぎない。去年トレンドだった色が今年は違う色がトレンドになったので「ダサイ色」になるなどというのは、情報に惑わされてその色本来の魅力を忘れてしまっているのではないだろか。

色にはそれぞれみんな個性があり、1つ1つの魅力があるのだから。

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手間をかけるかお金をかけるか 

ブランディングには大きく2つの方法がある。

1つはお金をかけること。お金さえかければいろいろな業者を使っていろいろな方策が実現できる。
効果が出るまでどんどん広告をうてばいい。
ただし、普通の場合、お金には限度があるし、おおかたの会社や商店にはそんな余裕などないはずだ。

そこでもう一つの方法。
自分たちで手間をかけるのだ。
ブログやHP、facebookの更新、イベントやワークショップなどの実施、事務所の清掃、販促資料の作成など、数えだしたらきりがない。

実はブランディングにはこの自分たちで手間をかけるということが、最も大切なのだ。
手間をかけることにはお金もかからないし、自分たちでやるということでモチベーションもアップする。
これなら一石二鳥。

その気になれば、今日からでもできることなのだ。

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26年が過ぎ、27年目が始まる 11 

5年で烏丸丸太町の事務所を出たのは、家賃が高騰したのと、いいかげん地下というのに嫌気が差していたからだ。
家賃が高騰したというのは、この場所に入ったとき10万だった家賃が5年目には18万になっていたので、これはあまりにも理不尽だということで決断した。
もともとこのビルのオーナーでもある画材店の口利きだったので、保証金無しで入っているのだからえらそうなことはいえないが、あまりにも上がり過ぎなのでちょっと腹が立っていた。

引越をするのが好きになったのはこの頃からかもしれない。

ただ、この頃私の周りにはどんどん問題が発生していて本来なら事務所の引越どころではないのだが、向かってくる困難をパワーに変えるというのが私のポリシーであるので、思い切って全部の問題を受け止めてみた。

まず、一つ目の問題はこの頃丁度実家を改築してそこへ引越をし、一人で住んでいる母親と同居するというタイミングであった。ところがその矢先に母親がクモ膜下出血で倒れ、第2日赤の救命救急センターに運び込まれた。
もうあと数週間で実家の解体が始まるというタイミングだった。
改築中母親は近くの仮住まいで過ごす予定であったが、突然倒れたため、母親の分の引越を私がしないといけなくなった。
それだけでなく、母親は半身不随になる可能性があると医者に告げられ、これはいったいどうしたものかと途方に暮れた。

幸い母親は一命を取り留め日に日に回復していったが、障害が残る可能性はまだ残っていたので、退院後一人で暮らすことはできない。でもまだ同居する家はない。
しかたがないので、家が完成するまでの数ヶ月間母親と同居できるように少し広めのマンションを借り、私の家族もそこへ引っ越した。
つまり、母親の分と自分の家族の分2回の引越をしたのだ。

そしてそのタイミングで事務所も引っ越し、なおかつ実家の改築が完成したらまたそこへ自宅を引っ越すというあまりにも無謀な行動に出た。
なんと1年に4回も引越をしたのだ。
おかげでパンダの絵の入った段ボール箱に1年中囲まれて生活していたような気がする。

母親も無事回復し、事務所も引越を終えた頃にはもうへとへと。
金は使うは、体力は使うは、神経はすり減るはで、身も心もずたずたであった。

そしてそういう想いをして引っ越した事務所は北大路下鴨中通りを少し東へ行った北側の小さなテナントビルであった。

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