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自分の誕生日の新聞に思う 

誕生日の新聞

先日の慰安旅行で訪れた明治村で、自分の誕生日の新聞をプリントアウトしてくれるサービスを見つけたので、スタッフ全員がプリントアウトをした。

うちの事務所の最年少は20才。最年長は私の48才。(あと1ヶ月間は47才)
28年の差は大きいということを改めて感じた。

私の誕生日の一面には、暗殺される寸前のケネディ大統領の名前も見える。
誌面には今では見ることができない国の名前や商品の広告など、自分の生まれた時代をはかるための材料が一杯だ。

私は今でも毎朝新聞に目を通す。自分が若い頃新聞配達をして学費や小遣いを稼いでいたこともあって、新聞に対しては人よりも思い入れが深い。
特に一面の記事は配達しながら大まかなところは目を通す癖がついていたので、いまだに朝新聞を見ないのは、少し物足りない。

最近の若者は新聞を読まないらしい。と、いうか新聞を取っていないらしい。
うちの事務所で新聞を取っているのは私だけだ。独身が3人、既婚者が4人だがどの世帯も新聞を取っていないらしい。
別に新聞を取っていなくても生活に困ることはないし、ニュースならネットで見ることもできる。昔は重要であったテレビ欄でさえ、地デジになった今は必要性が低くなった。
だから、別に新聞は必要ないという。

最近、情報の取り方が便利さのあまり独りよがりになっている気がする。
自分が求めている情報はいくらでも出てくるけれど、それは逆に言うと自分が求めている情報しか出てこないということだ。
私はいつも情報というのは2種類あるとスタッフたちに言っている。
一つは自分が求めて探し当てた情報だ。これはその情報を得たときの満足感が大きい。
そしてもう一つは、何気なくものを見ているうちに偶然発見する情報だ。このたぐいの情報はそのときすぐに役立つものは少ない。その情報に価値観を見いだすまでにある程度の時間を要するし、もしかするといつまで経っても役に立たないかもしれない。

でも私はこの後者の情報こそ大事にしたい。自分が求めている情報だけでは知識の蓄積が自己満足にしかならないからだ。
気づかないうちに吸収している情報こそが自分の引出を増やしてくれるのだ。徐々に、少しずつ人よりもチャンネルを増やしてくれるのだ。

そういうことを求めると、情報の取り方がネットだけというのは無理がある。新聞や、雑誌、チラシ、パンフレット、看板、テレビ、ラジオなど、自分が期待しているもの以外の情報を発信しているものにすすんで触れるべきだ。

ipadやアンドロイドなど情報端末が驚異的に進化して、世の中から紙の媒体が姿を消すのではないかと言われることがあるが、そんなことはあり得ない。
現に、テレビが登場してからかれこれ半世紀以上が経つが、新聞もラジオも雑誌もどれも姿を消していない。情報の伝達にはそれぞれ得意な方法というのがあるので、いくら最近の情報端末が優れているからと言っても全てのケースをカバーすることはできない。
つまり、情報というのは自分が期待していないところで偶然得るというパターンが存在する限り、現在の新聞や雑誌、ラジオ、テレビと言ったメディアは必要なのだ。

情報はネットで得るから大丈夫、などと言っていては、知らないうちに独りよがりのチャンネルしか持てない人間になってしまう。
そして、それはこれから伸びてゆこうとする若きデザイナー達にとって、気づかないうちに大きなハンデになるということを気づかなければならない。

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