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25周年目突入前に回想 3 

4つ目の事務所は北大路の下鴨中通りを少し東の北側。鳥匠という鳥料理屋の3階だった。

クリスタープラザエムをでた理由は
●手狭になった。
●何となくアウトドア志向になってきたのでもう少し環境のいいところに行きたい。
●地下だったので朝も昼も同じ景色だし、台風が来ても気づかない。
●家賃が上がった。
と、いうことだった。

お客さんが来ても、部屋の片隅で商談するのもどうかなという気もしたし、炊事場も狭いのでお茶もろくに入れられなかったので思い切って引っ越すことにした。

今回は縁もゆかりもない持ち主だったので保証金も払い、新しい家具も買った。
たまたま知り合いの事務所が廃業するというので一部紙用の引き出しや書籍もいただいた。
すごく安物ではあったが、商談用にテーブルといすも用意し、スペースもとれた。
この頃には資料もかなり増えていたので、エレクタータイプの本棚も用意した。

クリスタープラザエムの時よりずいぶんと事務所らしくなったし、その前のソワクレール伊吹の時とは比べものにならなかった。
独立して7年が経過していたが、スタッフも4名になり、相変わらずアルバイトもしょっちゅう来ていた。

ただ、この頃私は、大きな出来事が3つも覆い被さっていたので、正直ふらふらになっていた。
一つはこの事務所の引っ越し、二つ目はまったく同じタイミングで実家を建て直し、自宅も引っ越す。3つ目、これがかなり参った。
母親がクモ膜下出血で倒れ、救急車で入院のあと半身不随の可能性があるといわれた。
なんとこのタイミングで立て直す予定の実家に住んでいた母親が倒れたので、母親不在のまま実家の母親の分まで引っ越しをしなければならなかった。
というのは、実家をいったんつぶすので、仮住まいが必要となるが、母親が退院してくると一人にしておけないので、私の家族も一緒に仮住まいする必要があり、そのときのために少し大きめの仮住まいを借りて、母親が退院してきても大丈夫な状態にして置かなければならなかった。

ということは、
●事務所の引っ越し
●つぶす実家から母親の分を仮住まいへの引っ越し
●私の家族がその仮住まいへの引っ越し
●実家が完成したら仮住まいから新居への引っ越し
と、たった半年ほどの間に4回も引っ越しをしなければならなかった。
おかげで、パンダの絵が入ったダンボール箱に囲まれる生活がしばらく続くこととなった。

思えばこの4つ目の事務所は我慢の5年間であった。
私自身ひょっとすると何か守りに入っていたのかもしれないが、どうも後ろ向きな自分がいたような気がする。
独立して7年が過ぎ、何となく軌道に乗った気がしなくもないが、かといって漕ぐのをやめるとすぐに倒れてしまう不安定な自転車のような気もしていた。

自分の趣味がアウトドア志向になっていたのも原因かもしれない。
何かあくせくした生活に嫌気がさしたのか、子供と一緒に外で楽しむことの楽しさを知ってしまったためか。

釣りを20年ぶりに再開したのも原因の一つだ。
釣りはいけない。おもしろすぎる。
私はギターを弾いたり、競馬を見たり、骨董を眺めたり、水槽を作ったりと趣味はたくさんあるつもりだけれど、何がいちばんおもしろいかと尋ねられたら、おそらく「釣り」と答えるだろう。
釣りは人生を狂わせると言うが、それは本当だと思う。
四六時中釣りのことしか考えられなくなる。仕事よりも釣りが優先になって釣りのために時間が廻るようになってしまう。現に、この頃の慰安旅行も釣りのできるところが3年もつづいたし、事務所には作りかけのルアーがぶら下がっていた。机の上はフライを巻いたときの羽根のくずが散らばっているし、本棚には釣りのDVDが並んでいた。

おまけに、仕事上も大きなミスやスタッフの不祥事、母親の入院など逆風だらけだった。
なんとかしてそういう状態から抜け出そうともがいている自分が自覚できたし、その方法は皆目見当がつかなかった。おまけにベテランのスタッフが出産で卒業したので一気にしわ寄せが残りのスタッフにのしかかった。

なんとかしないといけない。
そういう想いの中でもがいていた5年間であった。

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