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26年が過ぎ、27年目が始まる 1 

12月1日を迎えると私の事務所はまる26年が経過し、27年目に突入することになる。

私が事務所を持った26年前の1980年代後半は、これから一般庶民のもとへバブルがおりてくるという時期だった。
会社も今ほど休みが多いわけでもなく、もちろん携帯電話もまだまだ一般的ではなかった。会社の営業マンはポケベルというものを持たされていた時代だ。

そんな時代の11月いっぱいで勤めていた織ネーム会社を辞め、自分の事務所を持った。
入社して3年と8ヶ月、24歳の時だ。

会社を辞めた理由はもちろん一つではないのでここで書くのはよそう。
いづれにしてもまだまだ若僧であったので、若気の至りでスマされるような気軽さも助けたのは間違いない。
ただ、会社を辞めるにあたっていろいろ事情があり、私以外のスタッフ2名も半年後には合流することが決まっていたので、売上をどうつくっていけばいいか、そればかりに意識が行っていた。
私は会社を辞めた時点ですでに何軒かのクライアントを確保できていたので、自分ひとりくらいが食っていくことは問題なかったが、3名となるとプレッシャーは半端なものではなかった。

すでに持っていたクライアントの中には大阪の会社も2件ほどあったので、ちょくちょく打ち合わせに大阪まで出向くことがあったが、そんなときは決まって阪急電車であった。
最初事務所は自宅の自分の部屋(和室6畳)だったので、最寄りの特急停車駅である大宮から乗ることが多かった。

想像が易いと思うが、自宅の事務所というのは不便きわまりない。
たった6畳の部屋にベッドと本棚と机とステレオ。若い頃オーディオマニアだったなごりでどでかいスピーカーが2本鎮座していた。その上冬に突入する時期であったので、石油ストーブまで置かれていた。
嘘のように狭い。
さらに、そこへなんとコピー機まで持ち込んだ。当時最新機種だったCanonのレーザーコピーだった。世の中はまだコピーというものにデジタルが入ってきていない時期だったので、一般のものの2倍以上の値段だったが、出入りの画材店社長に言いくるめられリースを組んだ。
もちろん会社を辞めて間もない24歳の若僧にFAXも合わせて200万ものリースを簡単には組んでくれないが、当時まだ健在であった母親を保証人になんとか通せた。

最も困ったのは電話だ。
うちの家には当時黒電話しかなかったし、おまけに回線も玄関の下駄箱までしか来ていなかった。
しかたがないので最新鋭のFAXをその下駄箱の上に置き、黒電話と併用することとなった。
FAXはそれで問題はなかったが、いちばん困ったのは外出しているときの電話番だ。今は携帯電話が当たり前の時代だが、当時はそんな高価なものを使えるわけもなく、ポケベルすら持っていなかった。
必然的に電話番は極めて自由奔放な人生を歩んできた祖母に頼るほかはない。
これが非常につらかった。伝言はまずちゃんと聞けていないし、クライアントに対して丁寧に接すると言うことがまったくできない。もともと嫌々やっているのだから当たり前だという感じが相手にも伝わってしまうのだ。

そういう不便を乗り越えて、奇跡的にスタート1ヶ月目からなんとか目標の売上を確保することができた。
それにはのちのちコイズミデザインファクトリーの領域を拡大することとなる大きな転機あったからだ。

次回へ続く。

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