26年が過ぎ、27年目が始まる 11
5年で烏丸丸太町の事務所を出たのは、家賃が高騰したのと、いいかげん地下というのに嫌気が差していたからだ。
家賃が高騰したというのは、この場所に入ったとき10万だった家賃が5年目には18万になっていたので、これはあまりにも理不尽だということで決断した。
もともとこのビルのオーナーでもある画材店の口利きだったので、保証金無しで入っているのだからえらそうなことはいえないが、あまりにも上がり過ぎなのでちょっと腹が立っていた。
引越をするのが好きになったのはこの頃からかもしれない。
ただ、この頃私の周りにはどんどん問題が発生していて本来なら事務所の引越どころではないのだが、向かってくる困難をパワーに変えるというのが私のポリシーであるので、思い切って全部の問題を受け止めてみた。
まず、一つ目の問題はこの頃丁度実家を改築してそこへ引越をし、一人で住んでいる母親と同居するというタイミングであった。ところがその矢先に母親がクモ膜下出血で倒れ、第2日赤の救命救急センターに運び込まれた。
もうあと数週間で実家の解体が始まるというタイミングだった。
改築中母親は近くの仮住まいで過ごす予定であったが、突然倒れたため、母親の分の引越を私がしないといけなくなった。
それだけでなく、母親は半身不随になる可能性があると医者に告げられ、これはいったいどうしたものかと途方に暮れた。
幸い母親は一命を取り留め日に日に回復していったが、障害が残る可能性はまだ残っていたので、退院後一人で暮らすことはできない。でもまだ同居する家はない。
しかたがないので、家が完成するまでの数ヶ月間母親と同居できるように少し広めのマンションを借り、私の家族もそこへ引っ越した。
つまり、母親の分と自分の家族の分2回の引越をしたのだ。
そしてそのタイミングで事務所も引っ越し、なおかつ実家の改築が完成したらまたそこへ自宅を引っ越すというあまりにも無謀な行動に出た。
なんと1年に4回も引越をしたのだ。
おかげでパンダの絵の入った段ボール箱に1年中囲まれて生活していたような気がする。
母親も無事回復し、事務所も引越を終えた頃にはもうへとへと。
金は使うは、体力は使うは、神経はすり減るはで、身も心もずたずたであった。
そしてそういう想いをして引っ越した事務所は北大路下鴨中通りを少し東へ行った北側の小さなテナントビルであった。
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