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東京オリンピック エンブレム使用中止問題で私が思うこと 

ついに、というかようやく使用中止が決定した。
新聞各紙、テレビやラジオのニュースで一斉に取り上げられたことからも、この問題への関心が高かったことがわかる。

私は当初この問題についてはあまりブログ等でふれていなかったが、あまりの不透明さ、デザイナーとしての意識の低さ、デザイン界全体のひずみ、デザイナーの社会的ポジションが大変気になったことから、このブログで問題点を整理し、考えを書かせていただいた。
この問題への関心が世間全体で高かったこともあり、アクセスは3日間で4500を超え、このFC2ブログのアート・デザイン部門で1位を頂くほどであった。さらに東京の朝日放送から電話取材を受け番組で紹介されたことをはじめ、ご縁を頂いている企業からも多数意見を求められた。驚くべき反響に少々驚いていたが、昨日ついに使用中止が決定し、佐野氏のコメントも発表された。

ここで問題点を指摘した本人として、「デザイン」というよくわからない世界に30年以上も身を置き、生業としているものとして、今回の問題を再度検証し、思いを述べたい。

●エンブレム審査委員会メンバーの不可解
まずこのメンバーを決めたのが誰なのか?
それが今回の騒動の根本的な問題である。
委員長の永井一正氏はグラフィックデザイン界の長老であり、このメンバーに入っていることに何ら疑問はないが、その他のメンバーは理解に苦しむ。様々なサイトで指摘されているように不信感はぬぐえない。
ただ、このメンバーたちを選出し、実際に審査委員会を構成した人物なり、機関があるはずである。そこへの責任追及は必ずしていただきたい。森元総理などの責任追及も取りざたされているが、森元総理が実際に人選をするわけもなく、かかわった担当者がいるはずだ。

●選考過程の不可解
これもあまりにも不透明すぎる。100点以上もの応募作品の中から選んだ原案をなぜにあそこまで、使用することを前提に修正を重ねたのか。デザイナーでなくてもあの原案と決定案が全然別物という印象を持つのが普通である。
作品を選ぶ審査ではなく、人を選ぶ審査であったことは間違いない。
今回のコンペには誰が決めたのかおかしな応募規定がある。著名なデザイン賞を2つ以上獲得していること、という内容だ。
これも様々なサイトで指摘されているように佐野氏の関係者で審査員と受賞者を回り持ちしていたという事実があきらかになっている。さらに委員長である永井氏と佐野氏の兄との関係や永井氏の息子と佐野氏の関係など。簡単に言うと佐野氏にとって非常に選ばれやすい環境が整っていたことになる。選考時には応募者の情報が臥せられていたと説明しても、彼らはもともと親交があったのだから佐野氏の作品を応募前に見ることは十分可能だったはずだ。

●100点以上の中からあの原案が選ばれた不可解
最も不可解な点はこれだ。条件をクリアしたレベルのデザイナーが応募した100点以上ものデザインの中で、なぜあのレベルのデザインが選ばれたか。思い切って私なりの意見を言わせていただくと、まったく「学生レベル」といわざるを得ない。
まずコンセプチュアルな部分が「東京のT」と「日の丸を連想させる赤い●」これのみである。この程度のことは1〜2年デザインの勉強をしたものであれば誰でも考えるレベルであるし、最も重要なオリンピック自体の理念やスポーツの祭典であることは全く反映されていない。「東京のT」と「日の丸を連想させる赤い●」だけであれば東京で行われる日本をテーマにしたイベントであれば何にでも当てはめることができる。
さらに最も私がデザイナーとして疑問を持つ部分、それは「濃いグレーの反転でパラリンピックのエンブレムとしたこと」である。オリンピックとパラリンピックは健常者と障害者がスポーツという世界の中で切磋琢磨することの美しさを共有することが大きな目的であると思うが、佐野氏のデザインではこのオリンピックとパラリンピックが「濃いグレーの反転」つまり「ポジとネガ」で表現されている。「ポジとネガ」は「陽と陰」。この色彩的なイメージをオリンピックとパラリンピックに当てはめるという発想は極めて無神経ではないか。この部分が「赤」や「青」などの色彩であればそこまでのイメージはないが、「濃いグレー」というカラーを選んだ時点でこの考えは私には理解できないし、デザイナーとしての優しさ、思いやりを疑う。

●これほどまでにネットで問題が拡大した不可解
今回のオリンピックでは新国立競技場の問題も大きくクローズアップされているが、こちらの問題は話が何千億円もの話になり、しかも設計という一般大衆からすると少しかけ離れた世界に感じるものではあるが、エンブレムというものはもっと大衆に近いところにあるものであり、誰でも意見を述べたり、議論に参加しやすいという側面がある。それがネットでここまで問題を大きくさせた大きな要因ではないか。また、それに乗じて佐野氏本人に何かしらの敵意を持った力がネットという大きな力を利用し、まんまと目的を達したといえるのではないか。

●デザイナー佐野研二郎の不可解
数々の盗用疑惑がネットで指摘されているが、それが白か黒かは別として、彼の仕事の進め方が、いくらこのデジタル社会とはいえ、デザイナーとしての常識をあまりにも大きく逸脱していることは間違いない。数々の彼自身が認めている事例がそれを証明している。
私はもともと他人の作品には全く興味がないので、現在の日本というより現在の東京のデザイナーの名前などほとんど知らない。佐野研二郎氏の名前でさえ今回のエンブレム騒動で初めて知った。そういう中で数々の取りざたされている彼のデザインを見たが、正直この程度のデザイナーなら全国に5万といるであろうと思う。
ネット上で問題視されている多摩美などの新しい事例でも盗用が取りざたされているが、ここまで来るとデザイナーとしての絶対値が低いといわれてもしかたがないのではないか。選考委員会の人間関係などから彼がコネクションにより数々の大きな案件を手に入れていたことはまず間違いないし、ある意味それもデザインのビジネスであるといえなくもない。実際大なり小なりコネを使って仕事を獲得するということはどんなデザイナーでも経験のあることだ。
しかし、今回の場合1企業のキャンペーンや身内の審査員のいるコンテストとはワケが違う。世界最大級の祭典「オリンピック」なのだ。
東京がオリンピックの開催地に選ばれたとき、あの関係者たちの喜びにあふれた映像を思い出して欲しい。彼らは一生懸命東京でオリンピックができるように頑張ったのだ。涙を流して喜んだのだ。そんな国家的超ビッグイベントで彼はこの程度の仕事ですり抜けようとした。このことの重大さを痛感すべきだ。

●使用中止決定後の佐野氏のコメントの不可解
彼は謝罪と自己弁護を混同している。様々なメディアで使用中止決定後の彼のコメントが発表されたが、今回に限らず、彼の謝罪手法はデザイナーとしてというより社会人としてなっていない。文面の中の謝罪は極めて一般的で形式的な謝罪文であり、全体の中に占める文章量も少ない。それに対し、自分の作品に対する潔白の主張やオリンピックへの思い、さらには本人や家族、スタッフに対する中傷に関することで文章の多くを占めている。結局のところ「私は潔白だけど、ちょっとまずいところもありました。でも今回の誹謗中傷に耐えられないのでエンブレムを取り下げてくれといいました。」といっているような印象が強い。おそらく彼のこういう手法が今までの炎上を誘発していたに違いないし、普段の仕事の中にもこういう姿勢がでていたはずである。そういうことが彼に敵を多く作ってしまい、今回のように一斉にあら探しをされる結果を呼んでいるのだろう。

●スポンサーに対する責任感の不可解
彼のコメントの中でもう一つ重要なことがある。それはスポンサーからの賠償責任逃れである。彼は今回のコメントの中でエンブレムに関しては一切非を認めていない。コメントの中身もスポンサーやその関係者に対する謝罪は曖昧な表現にとどめている。これはおそらく非を認めることでスポンサーからの賠償責任がかかってくることを避けたい考えからだろう。「私は悪くないから、選考委員会か、五輪組織委員会に責任があります。私や家族、スタッフに対して誹謗中傷し、この案を取り下げなければいけない状態にしたネット社会が悪いんです。」といっているようなものだ。
こういう姿勢こそが今回の騒動の発端と言っても過言ではないし、最後のコメントでもまだそのスタイルを崩していないことに不快感を感じずにいられない。

●今後のこと
はたして今回のエンブレム騒動はどういう終熄のしかたをするのか。全く見当がつかない。広く公募して決定するというが決定する人物をどうするかなどの大きな問題が山積みだ。インターネットなどで公正に投票などを行うという意見もあるが、本来優れたデザインというものが必ずしも大衆の支持を得るとは限らない。もちろん大衆が支持することは大事ではあるが、それはすなわち、デザインの質レベルが大衆のデザインレベルになってしまうということだ。それはデザインの後ずさりであるし、発展的、未来的とは言いがたい。
一部では1964年の東京オリンピックのエンブレムを復活させようという意見もあるようだが、それは打算的といわざるを得ない。
また、今回のこの騒動の原因は2020年のオリンピック自体に「どの様なオリンピックにしたいかという大きなテーマ性が見えないことにある」という意見もあるが、それは違うと思う。オリンピックはオリンピックなのだ。開催地がこんなオリンピックにしたいなあなどというものではなく、オリンピックはスポーツ精神の祭典そのものであり、それ以外の何ものでもない。そんな崇高なテーマで長い長い歴史を築いているオリンピックに、今更開催地のつまらんコンセプトなど、全くちっぽけなものだ。オリンピックというものはそのくらい大きく、崇高なものだ。コンセプト待望論はその点が欠如しているように思えてならない。

その崇高な超世界的イベントのエンブレム、さてどう選ぶべきか・・・・・。

これは相当にやっかいな問題だ。

最後に今回の騒動を簡潔にまとめてみた。

●選考委員会の癒着疑惑とずさんさ
●デザイナー佐野研二郎氏の仕事レベルと姿勢
●東京1極集中の弊害
●インターネットの拡散力

これにつきる。

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